何かをしようとするとき、考える「しようとすること」の反対側に「~しなければならない」「~だからできない」「~するべき」があって、進めなくなっていませんか? 貴方の本当の答、見つけるお手伝いさせていただきます。

2007-04-09

当たり前?

昨日は久しぶりに何も予定の無い一日で、お昼過ぎから春霞の空の下、桜をゆっくりと見ていました。
昔から、桜の下で騒ぐというのは今ひとつ得意ではないのですが、それでもこの季節、桜を見て居たいと思います。
同じ空の続くその向こうで、ふと「違う桜を同じように見ている人がいるのかな」と思うと、それだけで時間が過ぎて行きます。


「思わず」「咄嗟に」「つい」「ふと」と、いろいろ有りますが、咄嗟に出てしまう反応というものが、人によって差は有るものの誰にでも有るのではないでしょうか?
また、咄嗟であるが故に、『当たり前』に思えているかもしれませんね。
ここで「そうそう」「その通り」と思っていただいた方、ありがとうございます。


処で、 『人によって差が有るもの = 当たり前』 という公式は成り立つものでしょうか?


例えば「納豆」や「ブルーチーズ」といった食べ物があります。
私は食品関連の仕事をしていたことも手伝ってか、どちらかというと好んで食べる方なのですが、一般的には好みのはっきりと分かれる食べ物ではないかと思います。

もしも、これらが好きだと思っている人が、これらの匂い(香り)を嗅いだ時、どの様に感じ、何を思うのでしょう? その逆は?



あえて食べ物で考えていただきましたが「納豆」や「ブルーチーズ」の代わりに、貴方が『当たり前』だと感じていることを当てはめて読み直してみてください。
もしも何かを感じたら、「明日からその感じたものを活かせるとしたら?」と想いを馳せて見てくださいね。

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