何かをしようとするとき、考える「しようとすること」の反対側に「~しなければならない」「~だからできない」「~するべき」があって、進めなくなっていませんか? 貴方の本当の答、見つけるお手伝いさせていただきます。

2007-03-29

果実の話

今年が始まって、もう4分の1が過ぎようとしています。

皆さんは今年の初めにどんな年にしようかと考えましたか?

私は、これまで生きてきた中で、せいぜい31年程度ですが、大げさでなく本当に沢山色々考えました。


始めたことや、終わらせたこと、色々あります。

それらと並行して、継続することもあります。



桜が咲くように思わなくとも起こる出来事もありますが、少なくとも自らの行動は、思ったその瞬間、そこから始まります。


何もしなくても朝と夜は平等にやってきます。




ここで少し言葉遊びを入れたいと思います。

『果実』が実っています。『果実』は「種」を残し、「種」は土に埋まれば、適度な「水」と「栄養」を得て、「芽」になり、「陽の光」と「水」と「栄養」を受けて、「木」になり、「葉」を付け、「花」を咲かせ、「風」や「鳥」や「虫」の力を借りて、また『実』をつけるでしょう。更にその『果実』は、何かの栄養になり、あるいは、ただ腐り、また「種」を残したりもします。

その『果実』に何かが出来るとすれば、どんなことが出来ますか?



『果実』があるならば、少なくとも、その存在は否定することなどできはしません。そこに有るのですから。『果実』があったならば、やはり、その存在は否定することなどできはしません。そこに有ったのですから。

それが「花」になっていたなら美しいと思うことも出来るでしょう。
美しい「花」を咲かせれば良いなと思うことも出来るでしょう。

腐っていれば不快に思うことも有るかも知れません。
腐らなければ良いなと思うことも有るでしょう。

「種」が残っていれば良かったと思うでしょう。
大半の人はその「種」は、「風」や「鳥」や「虫」が力を貸してくれたからできた『果実』から残ったのだと言うことを考えることもなく。
勿論「風」は考えることなど無いでしょうし、「鳥」や「虫」は自らの「生」の為に行った行為になんら「代償」を求めたりすることは無いでしょう。もしかしたら、そんなことも有るのかも知れませんが・・
また、そこに『果実』ができたら食べに来ようと思った「鳥」や「虫」も居るかもしれません。

「種」が残っていなければ、「風」や「鳥」や「虫」が力を貸してくれなかったから残らなかったのだと考えるかも知れません。
「風」は吹かなかっただけかも知れませんし、「鳥」や「虫」はそこに『実』が有ることを知らなかっただけかも知れませんが・・



さて、何を思ったでしょう?



<おまけ>
前回と同じパターンですが『果実』の「果」を『事』という文字に変えてみてください。
「風・鳥・虫」は、あんな人やこんな人を代わりに入れてみてください。

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