嫌という思い込み
久しぶりにセッションをさせていただきました。電話でのセッションはかなり久しぶりだったのですが、クライアントの方は新しい気付きを得たご様子で、(出先から)帰っていかれました。
時間をさかのぼり、昼食を食べに街を歩いていた際「人のしていることと同じ事をする」「人の用意してくれた道を歩く」のはなんとなく「かっこ悪い」「嫌」というような内容が聞こえてきました。
思わず、もしクライアントさんがこう言ったセリフを口にしたら、私はどうするだろうか?と思考を巡らせていました。
まず、しっかり話を聞かせていただいてからですが、(少し意地悪なのですが)『貴方が普段何気なく使っている言葉は、どの様なものですか?』と質問をさせて頂くことにしました。
よくよく考えていただくと普段話している日本語は、当たり前のことですが私や(読んでいただいている)貴方が作ったものではなく、勿論細かなことを言えば、流行語があったり、死語になって消えていく言葉もありますけれど、ベースになっている構文は、誰もが昔から使っている(別な捉え方をすれば誰かの用意した)ものです。
では、普段話をする度、何かを考える度に「かっこ悪い」「嫌」と感じているのでしょうか? 恐らく、その様なことは無いのではないかと思います。
人の頭は何かについて限定した思いを持ったとき、例えば今回の「~はかっこ悪い」「~は嫌」と思ったそのとき、さもその「かっこ悪い」「嫌」が答の全てであると錯覚を起こし、その時点から本当の答を探すことを辞めてしまいます。(俗に言う思い込みですね。)
それと並行して「嫌なのは何故なのか?」と考えることは、脳にストレスを与えるので、疲労しますし、考えることに抵抗を感じ、一層答から遠ざかって行きます。
では、貴方にとって「かっこ良い(スタイリッシュ)」「好きなもの」はどんなものなのでしょうか?
少しでも考えに変化が起こっていれば、メールでもコメントでも良いので教えて下さい。
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