何かをしようとするとき、考える「しようとすること」の反対側に「~しなければならない」「~だからできない」「~するべき」があって、進めなくなっていませんか? 貴方の本当の答、見つけるお手伝いさせていただきます。

2007-03-05

誰の物語[3]

誰の物語最終回です。 2番で最後にさせていただいた質問、あなたはどんな答えをみつけましたか?
よい答えなのか、悪い答えなのか、決めるのはあなたの心です。

それでは、3回目、ごらんいただければと思います。


(続き)

(自分以外の)誰かの書いている物語は、始まりも終わりも(≒原因も結果も)、登場人物のものでは有りません。 あえて誰のものかと言うのであれば『書き手』と『読者』のものではないでしょうか。

[Title]悩む貴方 [artist]puiyo

読者は基本的に物語には絡みませんし(自己投影は可能ですが)、登場人物は勝手に行動もしませんし、会話もしません。 少し寂しいですが、その物語に登場し続けることができるかどうかすらも、読者や登場人物には選べません。

読者なら特定の登場人物(もしかしたら自分自身?)を『出して欲しい』『出さないで欲しい』という意思表示をすることはできます。が、登場人物には(仮に意思が有ったとしても)書き手にそれを伝える術(≒伝えられる保障)がありません。

最終的に、その登場人物を登場させる・させない(意思を汲む・汲まない)を選択できるのは、書き手(相手)だけなのではないでしょうか?

また、一旦物語から消えて、その後書き手の都合や気まぐれ、路線変更(心変わり)等で、再び登場することも有るでしょうし、逆に主人公だったのに、書き手の都合や気まぐれ、路線変更等で、消えてしまってそれっきり。 という事もありえるでしょう。


さて、ここで質問です。

あなたは、物語の登場人物です。 選択する権利はありません。 その状況下であなたが、『その物語に出演していたい』と強く想ったとき、一体何をすることが出来ますか?



いかがでしたか? あなたの中に、何かひとつでも「新しい気付き」が起きていれば幸いです。




 ご参考までに、私は、自分の物語に相手を登場させるというのは、手順を追っていけばできそうですが、書き手には書き手なりの葛藤も有る・・・、ということもあり、想い(信じ)続ける/想い(信じ)直すこととか、コラボレートして一つの物語を作ることならできると思っています。 
 書き手も読者も登場人物も有る程度はフィフティーな関係になれそうですから。
友人とも、愛しいと思う相手とも、なるべく対等でありたいので、そう思っています。

 因みに今回は、とある友人とのコラボレートという形で、イラストを描いて頂きました。近日中にまたご紹介できるのではないかと思いますので、こちらについての情報も、お楽しみに。

0 件のコメント: